2007年01月

ああ上野駅

 先日、亡くなられた井沢八郎さんを偲んで「ああ上野駅」を、懐かしんで皆さんで歌ってみませんか?


1.どこかに故郷の 香りをのせて

  入る列車の なつかしさ

  上野は俺らの 心の駅だ

  くじけちゃならない 人生が

  あの日ここから 始まった


 『父ちゃん 僕がいなくなったんで 母ちゃんの畑仕事も大変だろうなあ、今度の休みには必ずかえるから、そのときは父ちゃんの肩も母ちゃんの肩も、もういやだって いうまでたたいてやるぞ、それまで元気で待っていてくれよな』


2.就職列車に ゆられて着いた

  遠いあの夜を 思い出す

  上野は俺らの 心の駅だ

  配達帰りの 自転車を

  とめて聞いてる 国なまり


3.ホームの時計を 見つめていたら

  母の笑顔に なってきた

  上野は俺らの 心の駅だ

  お店の仕事は 辛いけど

  胸にゃでっかい 夢がある

卒業式も間近か!

 誰が名付けた?のか、1947年から49年に生まれた世代(約700万~800万人)を団塊の世代と言う。

 昔、誰が名づけた川なのか…。という歌い出しの歌があったようだが。

 過去にコンピュータシステムが突然停止してしまうと騒がれた「2000年問題」がなつかしいが、ことしから、団塊の世代が企業から大量に退職が始まることで発生する影響が懸念されるのが「2007年問題」といわれている。当初はIT分野に限って使われていたが、最近はより一般的な用語として広まりつつある。
 
 懸念される影響の一つは、団塊世代は日本の総人口に占める割合が多く、引退による影響が大きいと見られること。
 もう一つは、団塊世代には日本の情報化における黎明期を担ってきた人材が多いことだ。

 大手企業におけるコンピュータの導入が本格化したのは、1960年代後半から70年代にかけて。そのとき第一線で基幹システムの導入を担ったのは、当時20代から30代だった団塊世代の社員である。その多くは、以後もシステムの刷新や拡張に携わり、企業の情報化を担う人材として重要な役割を果たしてきた。そうした人材の一部は、すでに第一線を退きつつある。すでにこの問題は顕在化しつつある。

 2007年問題が発生すると、どんな影響を及ぼすのか。予測されるのは大きく二つのタイプに分かれるといえる。

 一つは、システムの保守が困難になること。例えば、既存システムの中身がわからなくなってしまい、トラブル発生時に事態を収束させるのが困難になる。或いは、システムを改修したり再構築する際の現状調査に余計な時間を取られる、といった事態が生じる。たとえドキュメントが残っていたとしても、メンテナンスがきちんとされてなかったり、他人が理解できないような記述になっているケースは意外に多い。

 もう一つは、企業全体のスキル・バランスが崩れる。スキルを持つベテランが引退の時期を迎える一方で、若手が育っていないといった状況を招く。システムの全体計画やプロジェクトの指揮といった総まとめ役を団塊世代が継続して担ってきた影響は大きいといえよう。

 だが、業界の一部では「ベテランが持つメインフレーム時代のノウハウなど、オープン系隆盛の時代にはほとんど役に立たない。だから2007年問題など、そもそも存在しない」といった意見がある。

 また、「基幹システムの再構築が完了すれば、2007年問題は一件落着」との見方もある。実際、2007年問題の対策を早急に施そうと考える企業は少ない。

 この問題が指し示しているのは、体系的な人材育成策が存在しない、システムの安定稼働が特定の担当者に依存しているといった、IT組織における施策のまずさである。この問題をきっかけに、ベテランから若手へのスキル継承に取り組む企業や、ドキュメントの整備方法を見直す企業も徐々に増えているようだ。

 20世紀は戦争の時代といわれ、21世紀に入ってすでに7年過ぎようとしている。だが、形態は変わっても戦争はいつまで経っても終わろうとしない、人間の愚かさよ。

 2007年を迎え、はや、お正月、成人式も過ぎ、もうすぐ卒業式。
 団塊の世代も、もうすぐ卒業は間近かということか。本当にお疲れ様でしたと言ってあげたい気持ちです。

 それにしても、本当に時間の経つのが早く感じる今日この頃です。

箱根駅伝~日体大健闘

 1月3日、第83回箱根駅伝復路(5区間109.9キロ)は、日体大が、ノロウイルスの直撃を乗り越えて奮闘した。アンカー竹中選手(3年)が東洋大の尾田選手を振り切り、ゴールに滑り込んだ。24年ぶりのVは逸したものの、前回の9位から4位に順位を押し上げた。

 昨年12月上旬、5区を走ったエースの北村選手(3年)をはじめ2区の保科主将(4年)、6区の石谷選手(2年)、9区の高橋選手(3年)と主力選手が次々とノロウイルスにかかり、横浜市内の寮に住む12人が感染。病原菌のまん延を防ぐため自室に1週間も“隔離”され、全体練習を再開したのは12月中旬を過ぎてから。

 それでもメンバーを変更することなく本番に臨み、往路は3位。6区の石谷選手は、山下りのスペシャリスト末吉選手(日大)に抜かれ、その後抜き返したが、再度抜かれながらも区間5位の健闘。7区の鷲見選手(4年)は区間賞。1年で1区区間賞など3年連続スターターを務め、今回初めて7区に回ったが、大健闘の走りだった。

 レース後、別府監督は「もっと上で戦えるよう頑張っていきたい」とコメント。北村新主将は「誰をメンバーに選ぼうか迷うくらい層の厚いチームにしたい」と抱負を語る。60年連続60回目の出場となる記念すべき2008年は、ぜひ10回目のVで華を添えてほしいものだ。

 3日、復路6区の石谷選手(2年)は、水頭症という難病を抱えながら箱根の山下りに挑んだ。 水頭症は脳内に過度の髄液がたまる病気。石谷選手は、生後2か月で体内に管を埋め込み、液を頭部から腹部へ流す手術を受けた。日常生活に支障はなく、サッカー以外は自由に運動に取り組んできた。

 中学から陸上を始め、神奈川・藤沢翔陵高3年で全国高校駅伝に参加。だが、レース当日の朝、頭痛を感じ始め、少しずつ意識が薄れていった。生後から使い続けた管に、不具合が生じたためだった。 1区に予定したエースの急変でチームはやむなく棄権。石谷選手は管を取り換える手術を受け、意識を取り戻した病床で、悔し涙を流した。

 「陸上をやめようとは考えなかった。この悔しさを大学で晴らそう」。目標を箱根駅伝に切り替え、今年6区に選抜され、見事区間5位の快走を演じた。

 レース後「同じ病気をもつ人たちの少しでも励みになれば」と語った。
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